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制作と仕事 [アート]

 夏休みが始まった昨日、私は制作を始めました。

 8月の終わりから9月のはじめにかけて、毎年恒例のグループ展があります。大学の彫塑研究室の先輩や後輩と一緒に行うグループ展です。この年に一度のグループ展のために、私は夏休みに制作をします。今年は胸像を制作することにしました。たいてい私は女性像を制作するのですが、今年は男性像です。

 今週は、午前中にPCの研修があるので、毎日学校に帰ってきてから制作をしています。今日も、12時くらいから6時くらいまで、ずっと粘土に向かっていました。・・・面白いんです。楽しいんです。それ以外の気持ちが湧いてこない。制作とは、本来は辛いものです。なぜなら、表現とは自己と向き合うことであるからです。自分を見つめるのも辛いし、自分の技術や感性のなさに幻滅するのも辛い。しかし、年に一度しか制作しない私にとっては、今は楽しい行為でしかないのです。イメージを浮かべ、アイデアスケッチを描きました。本来ならば、あらゆる方向からのアイデアスケッチを描かなければいけないのでしょうが、私は我慢できませんでした。ほんの1枚しか描けませんでした。もう実際に粘土をいじりたくって仕方なかったのです。そして、すぐに粘土を触り始めたんですが、ただ楽しい。頭で考える前に手が動いてしまう。まったく辛いとは思わない。そこには、あまり深く考えず、ただ手がつくりだす形と、粘土の感触を楽しんでいる自分がいます。もしも私が、普段から制作をしている人間であれば、制作が楽しいことだけのはずがありません。年に一度だから楽しいのです。毎日制作するということは本当に辛い。毎日が楽しく制作できるわけではないのです。私は大学時代、そんな辛さを感じました。制作が日常になることは、芸術を志すものにとって大切なことのはずなのに、いざ日常になってしまうと、表現が楽しいものではなくなってしまうわけですから。まったく贅沢な悩みです。だからこそ、私は社会人になってからも、制作を日常としている人に憧れます。自分にできないことをやっている人に、純粋に憧れの気持ちを抱いてしまうのです。

 そして今日もうひとつ気づいたことがあります。私は、制作をしている時に、仕事をしたくないということ。私は今、職員室で粘土の原型を制作しています。美術室で制作することも考えたのですが、何か用事のあるたびに職員室に戻らなくてはいけないことがうっとおしかったので、職員室で制作することにしたのです。完全に美術室にこもってしまうことも難しいですからね。だから、職員室の私の机上に回転台を置き、制作をしているのです。そして粘土をいじっていると、電話がなっても出たくない。仕事を回されたくない。生徒に呼ばれたくない。今しなければいけない仕事も後まわし・・・などと、およそ教員らしからぬことを考えています。まぁ、油土を使っているので、手が汚れていていちいち洗いたくない、また洗わない手で電話を触ったりすると汚れてしまうというのも、大きな理由の一部なのですが、第一に制作を邪魔されたくない。そう、私は制作をしている時に仕事をしたくないんです。制作と仕事は、同時に並び立たないことに気づいたのです。そうか、だから私は普段制作していないのか・・・と思いました。普段の生活では、長い制作時間を捻出することができません。そして、仕事しなくてはいけません。授業もしなくてはいけないし、採点も、生活指導も、校務分掌も、生徒の話相手もしなくてはいけません。夏休みのようにのんきにしていられません。教員にあるまじき発言だとは思いますが、正直、生徒のいない学校は最高です。パラダイスです。自分の都合のいいように、時間を使うことができます。だから、私は普段制作をしていないんだと気づいたんです。普段に制作をしてしまうと、きっと仕事をしたくなくなるから。だから、していないんです。だから、生徒のいない夏休みに制作をするんです。きっと私は無意識に、仕事する自分であり、制作する自分を守っているんですね。

 さて、私の作品ですが、手を入れるにつれ、だんだんと「ものを言う」ようになってきました。語るようになってきたのです。明日もいじります。楽しみです。

 ちなみにプロ野球後半戦も今日スタート。我が阪神タイガースは、今日は中日との試合でした。因縁のナゴヤドームでの中日戦。井端を打ち崩しての勝利!何かが起こりそうな予感・・・!!


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hil

そうか。夏休みかあ、もう。

僕はレポートを書いているときは実験室とかに逃げこんで隠れる(笑)。行き先表示もしないで。電話とかで思考が途切れると、やる気が失せるから。
・・・なんだか、頼られたくないんだなあ・・・このごろ、仕事に関しては・・・。
by hil (2007-07-25 05:15) 

スー

創造的な行為と仕事は、両立しないんですよね、本質的に。
だから、大もうけしている芸術家というのが、
(大々的な工房を持っていて、お人形さんをつくっていて、それがアメリカあたりで、何億という値段がつくひととか)
わたしは、信じられないし、売れたところで、たいていはそのひとの創作活動は終わっているように思うんですけどね。
(先の、売れてるひとの発言も、芸術性を否定するような、仕事人だと公言するようになって、微妙に変わってきているみたいですが、それって当然だと思います)
みらのさんの制作活動は、どうなさっているんだろうと、ずっと思っていました。両立は、相当な苦難の道だと思いますが・・・・・・。
by スー (2007-07-25 15:19) 

みらの

hilさん
 うん、確かにやる気が失せる。でも、hilさんの優しさは、そういう時はその場をはずすことですね。私は、邪魔されたくないと思いつつも、その場をはずさずに、平気でシカトしているから、始末に終えない。

スーさん
 私は、「一番したいことを仕事にしてはいけない」という言葉に、ある意味納得している人間です。作品を売って生活しようと思うと、売れる作品を作らなくてはいけない。売れる作品が、自分のつくりたい物であるとは限らない。売れる物をつくるために、自分がつくりたくないこともつくらなくてはいけないかもしれない。私は、年に一度、無理のない状態で、生活に関係なく制作できるから、楽しくできているんだと思います。でも、本来はこのような姿勢ではいけない。生活できなかろうが、売れなかろうが、苦しもうが、常に制作し続けなくてはいけないのでしょう。だから、私は両立できているわけではないと思うのです。
by みらの (2007-07-26 00:32) 

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