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「好き」ということ [いろいろ]

 上村愛子が「スキーが好き」、岡崎朋美が「スケートが好き」、高橋大輔が「スケートが好き」と、言っていた。すごいと思う。

 私は小さい頃からスキーにつれて行ってもらうことが多く、「スキーが好き」ということから、大学時代に競技スキー部に入部した。競技スキー部は、夏には基礎体力作りとバイトをしてお金を貯める。そして冬には2ヶ月くらいの合宿が続く。試合会場を転々とまわり、それが春まで続くのであるが、長く冬山にいるとそれが嫌になってくることもある。1週間に1回くらいあるオフには、滑りに行かずに宿でゴロゴロしてたりすることもあった。いくら好きでも長い間毎日スキーばっかりしていたら、嫌になることも多くあった。

 仕事もそうである。「一番好きなことは仕事にするべきでない」とよく言うが、私はこの言葉が非常に納得できる。仕事にしてしまうと、生活しなければいけないから、お金を稼がなくてはいけないから、我慢することもある。屋痛くないことをしなくてはいけないこともある。だからこそ、好きだけではどうにもならないこともある。我慢を続けて、やりたくないこともやって、自分の意思を曲げて、そんなうちに好きだったことがいつのまにか嫌いになってたりする。私は作品を作って生活していきたいと、本気で考えたことがある。でも、それほどの才能もなく、方法も知らず、今教員として生活の糧を得ている。教員しながら、でも私が一番やりたいことは作家なんだと考えていたこともあった。今となっては、教員が一番したい仕事になっているのが不思議なのであるが、確かに私は一番好きなことを仕事にしていない時期があった。それは、一番好きなことに生活をかける自信も勇気もなかったからである。もちろん、生活をかけるくらいの才能がなかったからでもある。

 オリンピックに出ていたこの3選手が、それぞれの競技が「好き」だと言えることに、私は尊敬感情をもつ。一流のアスリートとはいえ、いや一流のアスリートだからこそ、何度も何度も辛い思いをしたはずだ。本気でやめようと思ったことも、一度や二度ではないはずだ。「好き」という気持ちで始めたはずが、いつのまにか「好き」だけではいられなくなる。自分以外の所からかかるプレッシャー、自分の意思だけで物事が動かせなくなってくるのである。どんなに練習しても、結果が出なければ認められることはない。結果が全て。結果を出すために、「大好き」だった競技が「大好き」でなくなることもある。それなのに、彼らは自分の競技を「好き」だと言う。何度辛い思いをしても、死ぬほどの悩みと苦しみを感じても、結果が出ない焦りを感じても、結果を出して欲しいプレッシャーを与えられても、それでも彼らは「好き」だと言う。本当にすごい。

 「好き」を仕事にすることは、本当に難しい。だからこそ、彼らは人々に感動を与えられるのであって、彼らを見て次の世代の子どもたちが夢をもつのだと思う。「好き」なことをしている人は、まぶしいほどに輝いている。その輝きが、我々「好き」なことをあきらめた人間にとってはできないからこそ眩しく見え、何も知らない子供たちにとってはキラキラに光った憧れとして映るのであろう。「好き」で生きていける子どもから、「好き」では生きていけない大人になり、自分ではできないことを追っている人を眩しく思う。ある意味究極の子供なのかもしれないが、「好き」を追いかける人間って、なんて眩しく目に映るのかと思った。
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